激走144時間!シベリア横断鉄道

5月21日4:30。前日の万里の長城アタックのせいで若干筋肉痛がありつつも体調もよく時間通りに起きれた。いよいよ6日間ぶっとおしぶらり寝台列車の旅が始まった。宿から列車の発着場所となる北京駅は結構離れているので、前日まで同室だった、ロマンチックな顔とはかけ離れている顔をしているロマンというオーストリア人と一緒にタクシーをシェアして向かった。

北京駅の中へ入ると、やはりというか、どこが国際列車の乗り場なのか全然わからなかったが、その辺にいた服務員をつかまえて身振り手振りで案内してもらった。正面から右奥に行ったところがそうであり、かなり広い広間のようになっていた。広間に入るなり二人ともぎょっっとした。広間はかなり大きいのだが、薄暗いその広間にびっしりとはびこる中国人民。

歯を磨いているおっさんやら、バーナーみたいので何かを焼いているこわいおっさん。自分の背丈の5倍くらいある荷物の上で寝ている超こわいおっさん。床ではいつくばっている最悪に顔がこわいおっさん。とにかくその光景に二人とも圧倒され、それまで軽快なトークを繰り広げていたにもかかわらず二人とも終始無言。端っこにちょこんと座り亀のようになっていた。

たぶんモンゴルに物資をはこんでその差額でもうける商人たちがほとんどなのであろう。僕らみたいなちゃらちゃらした旅行者的なオーラは微塵も発さない代わりに、いつでも殺ってやるからな的なオーラがびんびん伝わってくる。この時点で6:00。列車の発車予定時刻は7:45。自分は荷物をロマンにまかせて、お買い物。列車の中に食堂車はあるとはいっていたものの、なんせ6日間という長旅である。食料や水はあるにこしたことはない。

水を1.5リットル、パン2斤、ソーセージ5本、カップラーメン3個。こんなもんで十分だろうと買い物終了。この判断の甘さが後で重大なことを引き起こすだろうことはまだ知るよしもなかった。広間へ戻って再び亀になる。とそこへ今にも人を殺してきました的な極悪な顔をした人民が俺に近づいてくる。どんどん近づいてくる。ぐいと俺の股間の方に手を伸ばして来るではないか。「ひっ!!」と本当に声を出してしまった。

その人民は俺のイスの下にあった。自分のお茶(手作り)を取ろうとしただけだった。俺の反応がよほど面白かったのか笑いながら話しかけてきた。何をいっているのかわからないが、多分どこまで行くんだと聞いている感じなので、「モスクワ」と答えた。ほほうという感じで仲間に何か伝える。まだなんか言ってるので、自分が握りしめていたチケットを見せてやると、それに興味を持ったのかその仲間たちも、のそのそとチケットを見に来た。わざわざ寝ているのを起こしているやつまでいる。

総勢10人くらいの極悪面したおっちゃんたちに囲まれチケットを見せて何やら説明する俺。やつらもやつらで何かを伝えたいらしい。結局双方よくわからないまま笑顔でイエーーってな感じで散っていった。それからは極悪面がかわいいおっちゃんたちの顔に見えてきて恐怖は去り、平静を取り戻すことができた。結局恐怖心なんてものは未知であるがゆえに自分で作り出しているもんなんだなと思った。

7:30頃ようやく改札が始まった。ゲルマン民族大移動さながら、とんでもない荷物をかかえながら一斉に人が動く。自分たちも重いバックパックを背負い列へと並ぶ。改札が終わると今までの薄暗い広間とは違い晴れ間が見えて、その先にはバカでかいホームとバカでかい列車がでんと居座っていた。列車に至っては先が見えない程である。改札から人々がそれぞれの車両に小走りで散っていく。

それにつられて俺たちも小走りになる。ロマンとはここでお別れだ。すごい開放感とこれからの列車旅への期待で二人は走り出した。「Bye Bye Beijing」ロマンが顔に似合わずロマンティックなことを叫んだ。俺もそれにつられて「Bye Bye Beijing」「Bye Bye ロマン。グッドラック」と叫んで自分の車両へと走っていった。

シベリア鉄道
北京駅構内

自分の車両は2等寝台で4人のコンパートメントになっていた。当初のイメージは映画ハリーポッターでハリーたちがホグワーツ魔法学校へ向かう際に乗っている部屋のイメージ。実際はそれを2倍くらい圧縮して圧迫感を持たせた感じ。

4人コンパートメント
俺の場所


 

 

 

 

 


これからしばらく一緒にあるであろう4人の構成としては、2人の中国人行商人。61歳と59歳の元気なおじいちゃんという感じ。もう一人はシンガポール人の旅人ジョシュア。そして俺という構成。とにかくおじいちゃんが荷物をつめまくるのですごい圧迫感。パソコンやら鍋やら、よくわかんない段ボール箱やらで圧迫感はさらに2倍2倍。閉所恐怖症を持っている人ならパニックを起こしそうな空間で少しめまいが。

ここからモンゴルウランバートルまでの仲間としてはもちろんジョシュアとはすぐに仲良くなったが、となりの部屋のクレイジーモンゴル人タイワンも忘れてはならない。ジョシュア、タイワン、俺という3人でウランバートルまでの29時間を乗り越えていくことになるからだ。走り出してしばらくは3人で話したり、列車の中を探検したり、食堂車でビールを飲んだり、モンゴルの将棋をしたりとゆっくり過ごした。ジョシュアはシンガポールの公務員で26歳。中国各地を旅してこれからウランバートルへ行く予定。タイワンはモンゴル人の料理人で22歳。2年間、韓国とシンガポールで修行をしてきてウランバートルへ2年ぶりの里がえりの予定。

ジョシュア
タイワン

ジョシュアもタイワンも英語は堪能なのでコミュニケーションは英語。ジョシュアはそれに中国語も出来、タイワンはモンゴル語、韓国語も出来るという。走り出してすぐに中国人の服務員がチケットを2枚くれた。一つは今日の昼飯のチケット(11:00〜13:00までに食えと書いてあった。)もう一つは夕食のチケット(17:00〜19:00)2枚のチケットをくれたので、食事に関しては心配がなくなったと安心した。

これから毎日2枚はタダのチケットをくれるのだろう。昼飯は自分で調達かなんて考えていたが、後からそれは勘違いだと知らさせることになる。がこのときは最大の楽しみは食堂車の昼飯。11:00になるとタイワンがうきうきして「早く行こうぜ」と誘ってきたので3人で食堂車へ。が待ちに待った昼飯は悲惨なほどしょぼかった。

とにかく量が少ない。白米と2皿のおかずがくるのだが、味はいいとしても育ち盛り?の3人にとってはあまりにも量が足りなかった。当然夕食もそんな感じ。夕食には有料でオプションがあるみたいで、50元(約842円)でミートボール3個がつくらしい。タイワンが速攻で頼んだが、あまりにも対価に見合わない。結局空腹を抱え、すごすごと部屋へ戻っていった。スケジュール表を見ると20:34から4時間半Elrianという中国、モンゴル国境の町に停車することになっている。

そこが勝負ということで町へ出て、モンゴル料理をたらふく食べようという計画を練りながら、時は過ぎていく。そして定刻通りにElrianに到着。外は真っ暗だがそんなに寒くはない。列車はElrianの駅に到着。3人で急いで駅の出口に向かった。しかし、出口には鍵がかかっていて、服務員の女性は鍵を開けてくれない。

何故ときいても「何故はない。どっかいけ」という感じ。さすがファッキン中国。それでも食べ物の恨みはなんとやらで粘ること数十分。どこからともなくお偉いさんがたが登場。案の定、その女性服務員はすぐさま鍵を開けた。その隙に俺たちもすり抜けることに成功。We are released from prison(牢獄から解放されたぞ)と叫びながら夜のElrianの街へ飛び出した。

「ここからはすべて俺にまかせろ、たらふくモンゴル料理を食わせてやるからな」とタイワンがタクシーを捕まえ、何やらモンゴル語で交渉。ここは中国といってもほとんどモンゴルに近いので、モンゴル語が余裕で通じてしまうのだ。そして、ついにモンゴル料理の店へ到着。注文もすべてタイワンにまかせ後は食べるだけ。この他にもサラダとかパンみたいなものとかたらふく食べて一人30元(500円くらい)満腹で眠りについた。

エルリアンの駅 店内 メニューを選ぶ二人
スープ パンみたいなもの 牛肉炒め

順調だった旅に緊張が走ったのは、ロシア国境だった。ウランバートルで大量の乗客が降りていった。自分の部屋は2人の中国人おじちゃんも、ジョシュアもいなくなった。ジョシュアはウランバートルで降りて、タイワンと一緒にタイワンの実家へ行ってしまった。当然タイワンはお前も来いといったが、行きたいのはやまやまだが、途中で降りられる切符ではないので、泣く泣くお別れ。

ウランバートルにて

そうしたら、4人部屋が一気に1人部屋に大変身。ラッキー、すごい広くて快適と思ったのは4時間ぐらいだろうか、その後は、寂しくてしかたなくなった。そんな哀愁も吹き飛ばす出来事がロシア国境だった。ロシア国境についたのは夜中、ただでさえロシアという国になみなみならぬ恐怖と偏見を持っているため、緊張しながらのバスポートチェック。

そして、問題発生。緊急事態です。なんと自分のビザの日数が一日足りない。どういうことかというと。現在は23日。自分のビザの有効期限は24日からなので、ロシアには入国できないということ。確認しなかった自分も自分だけど、ロシアビザは日本の旅行代理店に頼んだはずなのに・・・。とにかくロシア語でまくしたてられ、挙げ句の果てにはお偉いさんみたいのと軍人さんがきて何やら話しかけてくる。そして呆然と立ちつくす自分。

こうなったら賄賂しかないとポケットの中国元を握りしめていたところ、ウランバートルから乗車していた隣の部屋の太ったロシア人のおじさんが何やら助け船を出してくれた。10分くらいの押し問答の末、おじさんの勝利かどうかはわからないが、とりあえずはみんな去っていった。結局事なきを得て、ロシア入国。

それからおじさんとよくよく話してみると、チベットの高層だという。一度ウラン・ウデという故郷に帰ってから、インドのダラムラサへ行きダライ・ラマに謁見してくる予定だという。そんな話を聞くと、急に太った体が神々しく見えてくるから、我ながらいいかげんな性格である。その後もおじさんは色々と親切にしてくれて、モンゴル入国とともに食堂車がなくなってしまい、食料不足の僕に、リンゴやパンを買ってくれた。そんなおじさんともウラン・ウデでお別れ。

おじさん ウランウデの構内

翌朝は時差ボケ(ロシア入国後モスクワ時間)で朝5:00くらいに起床。うとうとしていると、となりのタイ人のテレビクルーの1人チャンプさんが「バイカル湖だじょ」といって起こしにきてくれた。世界で一番深い湖だというバイカル湖。しばらく車窓を食い入るように眺める。30分くらい見たであろうか、それにしてもでかいな。

少し寝るかと寝て、1時間後に起きたらまだ見えた。半端じゃないスケール。もうまるっきり海です。なんと琵琶湖の50倍だというから驚き。やっぱ世界は自分の想像をはるかに超えるなと感心しながらお昼寝。とにかく、シベリア鉄道の車窓は半端じゃなかった。気づいたら1時間ぐらいぼーーと見てしまうことがしばしば。自分が想像しても現実はその想像をもはるかに超えるスケールで存在する。

自分は未知なるものというか、まだ知らないことに関しては自分なりのスケールで解釈しようとすぐにしてしまうが、そんなスケールで物事をはかる無意味さを感じた。自分のスケールにおさまるものなんてこの世にまだまだ本当に少ししかない。であるならばまだまだ成長しなければなんて思慮深く考えていたが、シベリア鉄道乗車4日目と5日目になると、車窓にも飽きてしまって、仲良くなったイギリス人二人と三人で、彼らが持っていたDVDを見まくってしまった。(どろろ、ワンピース、ヒーローズ)何しにいってんだ。まったく。

車窓1 車窓2
バイカル湖 鳥肌もんの夕日

 

2008年6月14日 プラハにて




top,diary,route,photo,hotel,note,bbs,link
Copy right(c)Let's start World Journy All right reserved

 


 


inserted by FC2 system